唐突ではあるが、学園というのはどうしても普通の高校より、良いイメージがある。 お金持ちしか入れない私立高校といったところだろうか。 ここ咲秋学園も例に洩れず、施設が充実しているのだが、その代表的なものとして、食堂が上げられる。 まぁ、食堂が二つあるだけでもすでに公立とは全然違うのだが、問題はその内部にあった。 一つは、安さが命で味は二の次。窓口には食券を持った男子生徒が群がって、日々激しい競争を繰り広げながら、厨房ではオバちゃんがせっせと動き回っているような、オッサンとビールが似合うどこの高校にでもある食堂。 そしてもう一つは、これとはまったく逆の、明るい照明とオシャレな調度類の数々。 壁紙はパステル調で、店内にいたるところに花が飾られ、オマケにドリンクとデザートの種類も豊富な、OLとエスプレッソが似合う、食堂というよりはカフェテラスといった感じになっていた。 当然の如く、自然と女子はこっちのカフェテリアに集まり、男子からは皮肉を込めて“乙女食堂”と呼ばれ敬遠されるようになったのは言うまでもない。 ところが、彼らはそんな事に気にすることなく、食堂で昼ごはんを食べ終えると、カフェテラスで女子生徒の群れに混じって、雑談するのが日課になっていた。 「なんや、まだ気にしてんのか?」 「いや、そういうわけじゃないんだけど」 歯切れ悪く、社から顔を逸らした。 そう。別に気にすることじゃない。 あれは3年C組の担任、シエル先生だ。 だけど、なんて言うんだろうか。 「違和感?」 一番近いものをいうならそれだ。 シエル先生なんだけど、彼女に奥歯にモノが挟まったような、むず痒い違和感を覚えるのだ。 そしてこれは根拠にすらならないかもしれないが、 あの頭痛。あれは一体……。 「でも、確かにシエル先生はシエル先生だからね」 政彦が言うには、シエル先生は俺よりも前、一学期が始まったと同時にこの学園に赴任してきたらしいのだが、俺は彼女から一度も授業を受けた記憶はない。 だけど、みんなの態度は、まるで初めから3年C組み担任はシエル先生だったみたいだ。 「…………」 いや、悩むのは止めよう。せっかくこれが普通になってるんだ。 余計な詮索をしてこの生活を壊したくない。 スパッと思考を切り替えて、九割九分九厘が女子(残り一厘はもちろん俺達)で埋め尽くされたカフェテラスを見ながら、なんとなく二人に訊いてみた。 「あのさ、水越ってまだ来てないのか?」 途端だった。 社は一瞬だけキョトンとしたかと思うと、唇の端を吊り上げ、実に嫌な笑みを浮かべた。 ものすごい粘っこい、吹き出しをつけるなら「はっは〜ん。そういうことか」と何か間違った確信をしきった表情。 思わず、イスごと後ずさってしまう。 「……な、なんだよ」 「まぁ、人にはそれぞれ好みがあるとは思うねん。でおもなぁ〜、あれは無いな。どっちかって言えば、あれは猛獣・魔獣の類やで」 腕を組んで、うんうん、と満足げに頷く社。 「いや、なんでそう……」 なるんだよ。と言い掛けた言葉が止まる。止まってしまった。 「いいか、あれを手なずけるには餌付けじゃアカンねん」 「あ、あの、社。その辺りにしといたほうがいいと思うよ?」 政彦が気まずそうに苦笑を浮かべながら止めさせようとするが、 「なに言ってんねん。これからが本番やんけ」 社は戦に勝利して勝旗をあげる将軍のように、なおも意気揚々と続ける。 「ええか、あの女に餌持って近づいたらアカン。近づいたらてごと、ガブッ! といかれるで」 「へぇ〜、凶暴な女もいたもんね」 「そりゃそうやろ、なんせ水越…円…やか…ら」 な、という言葉と同時に、錆びたオモチャのような鈍い動きで後ろを振り返る。 社の視線の先には、口から白い湯気を立ち昇らせる魔獣が、見事な仁王立ちを披露していた。 「餌じゃなくて、アンタのそのお喋りな喉に噛み付いてあげようか?」 不敵な笑みを浮かべる魔獣。 「み、水越さんて面白い冗談言うんやな。あはは」 乾いた笑い声と共に白旗を揚げる将軍様。 そして見事に勝利をおさめた魔獣も、 「あははははは」 と、笑顔で返す。 「あはははははは」 「あはははははは」 同じながら、まったく正反対の笑いが、カフェテラスに響き渡る。 それはまさに、ナポリのサンカルロ歌劇場で聴く歌劇よりも、上質なオペラを彷彿とさせた。 そして俺は数秒先の分かりきった未来を見事に予知して、 「……南無」 社がさらし首にならないよう小さく祈った。 |