「いってらっしゃいませ」

「おう、行ってくる」

 

 いつも通り門戸の前まで見送りに来てくれた詩織に手を振りながら、晴れ渡る青空の下、学校へと歩き出した。

 現在俺が住んでいるのは、洋式・和式が節操無く入り乱れる住宅街の中にあるのだが、ここにはちょっとした問題があった。

それは立地。この住宅群が並んでいるのが、山中だということだ。

誰もが溺れ、麻痺し、この麻薬のような高揚感がいつまでも続くのだと信じた高度経済成長期。

しかしその幸せは、文字通り泡の如くあっさりと割れ、飽和状態になっていたはずのお金も気付けば砂塵と化していた。

そして夢の宴から覚めた人々が一円でもと安い家を求め、辿り着いたのが、山の中腹を無理やり削り、そこに家を建てるというものだった。

おかげで確かに安い家は手に入ったのだが、利便性など端から計画にも念頭にも入れていない為、ここ周辺に住む人達はどこに行くにもこの坂を下らなければならなくなった。

まぁ、仕方ないといえば仕方ないのだが、罰というにはあまりに地味で、ツケというにはあまりに厳しかった。

他の場所にもその傷跡はしっかりと刻まれており、町の外れにいけば、昔はフル稼働だったであろう工場跡も残っている。

 

――――夏草や兵どもが夢の跡。

 

 ははは、マジすぎてシャレになってないな。

 唯一のメリットは、そんなに開けてはいないが下の町を一望できるところか。

 それに、元々山自体も高山ってワケじゃないし、十分もすれば下れるのだが、下りれば帰りはこの坂を登るというのが自明の理なワケで、毎日簡単なハイキングが義務付けられていた。

 いつもなら少し憂鬱になるであろう事実。

 しかし、今日の俺は一味違った。

 今朝も昨日と同じ作戦を使い、詩織と一緒に朝食を摂ることのできた俺の足取りは、羽のように軽かった。

 これならば帰りの坂道はハイキングではなく、公園の遊歩道ぐらいにしか感じないだろう。

 でもまぁ、前々から練りに練って講じた策が全部ダメで、ベッドに潜り込みながらふと思いついた作戦が成功するなんて、皮肉と言っちゃ皮肉な話しだ。

 

「…………」

 そんでもって今日も感じる視線の(あめ)(あられ)

 いくら立地が特殊とはいえ、この辺りは普通の家が多く、あんな江戸時代からタイムスリップしてきたような武家屋敷はなかなか建っていない。その浮きっぷりときたら、関ヶ原の戦いにコップ型のロボット刑事が混ざっているぐらいのビックリである。

 ある意味、天下分けめだ。

 しかもその家で暮らしているのは、メイド服を着た可憐だが人形と見紛わんばかりの無表情少女と、俺みたいな男の二人暮らし。

 一般世間ではこういう年端もいかない若い男女が、一軒家に二人で暮らすという例があまり無いから、みんなが珍しがっているんだと、詩織が教えてくれたことがあった。

 俺的には説明してもいいのだが、何分人数が多い。なにせ、

 

「…………」

 

 右を見ても、

 

「――――!?」

 

 左を見ても、

 

「――――!!?」

 

 四方八方に人の輪がたくさんある。

 しかも、みんな今みたいに目が合うだけで顔を逸らすんだから、このまま近づいていっても、一目散に逃げられるだけだ。

 追われる側は近づいてくる者。追いかけてくる者と交流したくないゆえに距離をとるんだから、今こっちから近づいても単なる嫌がらせにしかならないし、そんな事をする気も毛頭ない。

 だから、いずれと思いつつ、今日も今日とて奇異の視線を浴びたまま坂を下る。

 そして坂を下りきり、一車線の少し大きめの道路に出ると、自分と同じ灰色の制服を着た人間をまばらに見かけることが出来た。

友達と話す者。一人で歩く者。さまざまだが、みな一様に同じ方向を目指しており、こんな時間に灰色の制服を着用して、この道を歩いているのは咲秋学園の生徒しかいなかった。

 当然、学園の生徒である俺もその中に混ざって行く。

 

「――――お、あれは」

 

 少し一人で歩いていると、前方に見知った背中を見つけた。

 歩く速度を上げてその背中に近づく、そして、

「よっ! 国見(くにみ)!」

 

肩を軽く叩いた。つもりだったんだけど、

 

「――――ッッ!!?」

 

 電池切れ間際のオモチャのように、腰まである黒髪がピクンと痙攣したかと思うと、四角い通学鞄で顔を庇いながら、その場で竜巻さながらの勢いでこちらを振り向いた。

 

「なななんですか!? お金は持っていません! 貴方様のお眼鏡に適うほどボン・キュ・ボンでもありません!」

「…………」

 

咲秋学園の生徒達がクスクスと笑いながら、時が止まった俺達の横を通り過ぎていく。

 国見は本当に武術の嗜みがあるとは思えないほど、しどろもどろになっているが、相手が俺だと分かると、鞄から恐る恐る上半分だけ顔を生やして、

 

「どどどどうして橘さんがここにいるんですか!?」

 

 頬を真っ赤にしてさらに焦りだした。

 

「どうしてって、そりゃあ登校時間だからな。偶然、国見を見かけたから声をかけたんだけど……驚かせたか?」

「い、いえいえ。滅相も無い」

 

 かと思ったら、国見の顔はまた鞄の向こうに消えてしまった。

 

「――そ、そうですか。登校ですか……」

 

 さっきからピョコピョコと、小動物を連想させる彼女の愛らしい動きに思わず頬が緩んだ。

 

「国見もこれから学園に行くんだろ? なら一緒に行こう」

「……え、あ、あの…本当に?」

 

 耳を澄ましてようやく聞こえるか聞こえないかほどの小さな声。

 本当も何も嘘をつく理由はない。

 

「当たり前だろ。ほら、早く」

「は、はい! よろしくお願いします!」

 

 タレ目気味の顔いっぱいに歓喜の表情を貼りつけて、国見は落雷ように勢いよく頭を下げた。

 その表情は本当に嬉しそうで、それで何故俺まで嬉しくなるのかよく分からなかったけど、詩織がいうには、こういうのは一番最初に感じた気持ちで良いんだそうだ。

 

「……どうかしたんですか? 橘さん」

「え? いや、なんでもない」

 

 なら、この気持ちは、国見の笑顔を見ることが出来て、俺の精神が高揚しているということだろう。

 国見の横に並んで歩き出す。彼女は頬を薄く紅色に染め、俺の肩の横でせわしなく視線を泳がせていた。

 

 あれ? 国見の鞄から……。

 

「あのさ、鞄からはみ出してるそれってなんだ?」

 

 口をついて出た疑問の言葉に、国見は自分のカバンからはみ出ている木の柄に目線を下げた。そして、リンゴを指差され、これは何かと訊かれた人みたいに、小首を傾げた。

 

「へ? これですか? 折り畳み傘ですけど……」

「あれ? 雨なんて降るのか?」

 

 言いながら空を見上げる。

 雲一つ無い、青一色に染色された秋の空。それは子供でも描けそうな単色。でも、余計な混ざりモノが無いからこそ、疑う余地を挟ませず、ただ晴れだという事実をこちらへと強烈に認識させていた。

 遠くを見ても、特に大きな雲があるわけでもない。

 それに降るなら降るで、家を出るときに詩織が渡してくれそうなもんだけど。

 

「降るんですよ! そりゃあもうザンザン降りで!!」

 

 俺はよほど神妙な顔つきをしていたんだろう。

 必死に身振り手振りを混ぜて説明する国見に、俺は思わず、むむむ、と唸ってしまう。

 信頼というのは童話でもあるように、その人の普段の素行が全てだといっても過言ではない。

 本人の素行が良ければ当然信用されるし、普段から嘘ばかりついているようなヤツは、誰にも信用されず、最後には狼に食べられてしまう。

 まぁ、国見の場合は信用に足る要因は別のところにあると、俺は分析している。

 彼女は普段も含め、こういうどちらに転ぶか分からない話題には、訊かれるまで自分の意見を一切言おうとしない。それで答えたとしてもかなり恐る恐る。

 つまり、国見は自身の意見が持つ正当性に自信が持てないということ。

 その彼女がこうして何度も降ると言っているんだ。 

 彼女なりに確信へと至る要素があるんだろう――って、またやっちゃってるな。俺は。

どうもまだ昔の癖が残っているらしく、この分析癖はマジで何とかしなくてはと思うのだが、これがまたなかなか……。

 ともかく、国見がここまで言うんだから、雨は降るに違いない。

 

「あ〜クソ、マズッたな。傘持ってくるの忘れた」

 

 本当にマズイ。下校の時どうしよう……。今から取りに戻ったら完全に遅刻だしな。

 

「そうなんですか? あ、あの〜、それなら、わ、わわ」

 

 どうやったら最悪の結果を避けれるか、必死に思案していると、俺達の横を通り過ぎた一人の女生徒にふと目が留まった。

 

「たしの―――」

「国見、アイツ誰だか知ってる?」

「傘で……、へ?」

「だから、あの背の高いスラッとした生徒」

 

 俺がその女生徒に目を惹かれたのは、ちゃんとワケがあった。

 ソイツは“群れ”に属していながら、なおも“個”として強い存在感を放っていたからだ。

 本来“群れ”に属するのならば、他の者と大きな差をつけてはならない。

 あまり差のない者同士が集まるがゆえに“群れ”は同調し、連帯感構築するから成立するのであり、その中で際立つモノは単なる“異物”でしかない。

 そういう意味でいうのなら、あの女生徒は間違いなく、純白に混じった黒。真昼の空に浮かぶ月だった。

 その生徒は国見から見ても相当目立つのか、こちらの視線を追っただけで、前を歩いている何人かの生徒の中から、その女の子を見つけだした。

「あ〜、芦屋(あしや) (かえで)さんですか? 結構有名な人ですよ。って知らなかったんですか?」

「うん、……まぁ」

 

 目を丸くする国見に、歯切れ悪く返事を返す。

 そんな言い方をされると、知らないこっちが時代に乗り遅れているみたいで、微妙にヘコむな。

 

「……その子ってそんなに有名なのか?」

「それはもう。咲秋学園の入学テストを含め、三年間のテストで彼女が一位の座から退いたことはありません。そして、今回実施された総合教養テストでも彼女のトップは揺るがないだろうと言われています」

 

 そ、そうごう……なに?

 

 だが、どうやらまだ続きがあるようで、頭に浮かんだ疑問をひとまず端へと追いやって、いつになく饒舌な国見の話に耳を傾けた。

 

「しかし、彼女が有名なのは、頭脳明晰だからだけではなく、見た目も美人だというところです。

スラッと伸びた身長。モデルのように長い手足。私達と同年代とは思えない大人びた顔立ち。

彼女がひとたび繁華街出れば、二十メートルも歩かないうちにスカウトの人が群がり、乗用車とすれ違えば、彼女に見惚れた運転手がハンドルを切り損ね、事故が多発したと言われています」

「…………」

 

 熱にうかされた様に、語り続ける国見。

 俺はその話しを言葉なく聞き続けた。

 正確にいうのなら、言葉を挟む隙が無いというのが本当である。

 それに、なんだろう。この言い知れぬ距離感は……。

 

「ですが、彼女自身はその美貌と知性を誇るふうでもなく、それどころか逆に趣味のお菓子作りを活かして、クラスのみんなにクッキーを配ったりと、もうまさに完璧。あれだけの美人で男女問わず好かれる人なんていませんよ」

 

 ここでようやく一息吐く国見。

 

「…………」

 

 俺はどちらかといえば、呆れるというより、普段は大人しくて、オドオドとしている印象の強い国見が、ここまで能弁に喋っているという事実とのギャップに驚きが隠せなかった。

 そして、俺はやっぱり一番初めに思った事を口にしていた。

 

「国見って、案外お喋りなんだな」

 

 なんとなく彼女の新しい一面を知ることが出来て、こちらとしては嬉しい限りなのだが、国見はしばらくポカンとした後、

 

「――――!!?」

 

 一瞬で真っ赤に茹で上がった顔を、鞄シールドで防御してしまった。

 

「あ、え、あのいえ、ふ、普段はこんなのじゃないといいますか。言葉のアヤというかノリといいますか。その、えっと」

 

 潤んだ瞳で上目遣いにこちらを窺う国見。

 

「……お喋りな女の子は嫌いですか?」

 

消え入りそうな声が震えているのは何に対する不安か。

 “お喋りな女の子”で最初に思い浮かんだのは、クリーム色のショートヘアーが特徴的な、悪ガキを思わせる小生意気な笑顔だった。

 

「…………」

 

 水越の事を嫌いかと訊かれているのだろうか? もしくはああいう性格のヤツが嫌いということか? それとも口数の多い女の子が嫌いかどうか……どれだ?

 

 頭を可能な限り回転させて考える。

が、二秒と待たず、答えは意外とあっさりと出た。

 浅く息を吸い、浮かんだ答えを言の葉にのせる。

 

「いいや、嫌いじゃないよ」

 

 水越も、アイツの男前な性格も、口数の多い女の子も、全部嫌いじゃない。なら、どれについて訊かれているなんて関係ないじゃないか。

 何故かポカンと呆ける国見。

 やがて水が染み込むように徐々に頬が赤くなり、国見との間につい立が現れた。

――――それにしても、

 

「う〜ん、ヤバイな。ある程度の生徒の名前ぐらい覚えてるかと思ったんだけど」

 

 最初に思い浮かんだのが水越。というか、アイツしか思い浮かばないってのはちょっと寂しい気がするな。

 とりあえず、“友人”というカテゴリーに当てはまる人間の名前を思い出せるだけ思い出してみる。

 

 国見だろ、社だろ、政彦に水越……。

 

 折った指が四本で止まる。

 そこから数秒待ってみるが、指は動かない。

 

「…………」

 

 さらに粘ってみるが、結局この結論に辿り着かざるをえなかった。

 

 ゲッ、それしか知らない。

 

 いくら記憶の土を掘り返しても、出てくる友人の名前は四人のみ。

 

 詩織は……微妙だな。アイツは友達というか、そういう分類に当てはまらないような気がする。

 

 思い出せないのか知らないのかは定かじゃないけど、昨日の件からするとおそらく前者だろう。

 

 俺って、記憶力悪いのかもしれない。

 

「しょうがないですよ。橘さんってこっちに来て、まだ一ヶ月ぐらいじゃないですか」

「それはそうなんだけどさ。やっぱり友達になれるなら、いっぱいなりたいじゃん」

 

 だって友達を作っても良いなら、いっぱい作らなきゃ損だ。――――それに、

 

 と、国見は何故かハトが豆鉄砲くらった様な表情をしていた。

 

「あれ? 俺何か変なこと言ったか?」

 

 しかし、それは瞬くほどの間の事で、国見はゆっくりと噛み締めるように瞳を閉じた後、

 

「――――、いえ、そうですね。私も……そう思います」

 

 春の陽射しのような彼女の優しい微笑みに、俺の表情も自然と柔らかくなっていった。

 

 

 

 

U