というわけで、お楽しみのカフェテラスタイムになりました。

 ま、楽しんでいるのは一人だけだけどね。

 カフェテリアの席取り班になった俺と政彦は、やっぱり今日も九割以上が女生徒で満たされたホールから、空いているテーブルを探し出して腰掛けた。

 一方、捕食者と被食者は買出し班になったんだけど、カウンターで会計待ちをする水越のトレイの上にはドリンクは無く、代わりに目が痛くなるほど色彩豊かなデザートの数々が鎮座していた。

 そして元々捧げられるはずだったドリンクは、レジで財布を開ける社のトレイにポツンと、まるでオマケのように置いてあった。

 

「確か、ドリンクだけじゃなかったっけ?」

 

 正面に座っている政彦は、俺の背後を覗き込みながら、思わず苦笑を零した。

 紙幣を差し出す社の顔のなんとわびしい事か。

 地獄でこの世一番の不幸をいくつも見てきたような表情に、お金を受け取ったレジのお姉さんも目を真ん丸くしていた。

 

「そういえばさっきも水越さんに、食堂でお昼ご飯を奢らされてたね」

 

 あ〜、事前にダメージを蓄積済みだったというワケか。

 いや、通りで普段から金欠を訴えている水越が『焼肉定食DX』なんて豪華なものを頼めるなんてオカシイと思ったんだ。

 トレイに載っているデザート。ドリンク。食堂の昼食も合わせると、軽く四千円近くは掛かってるんではないだろうか。

 一食四千円……。高いな。

 

「オッ待たー!」

 

従者を引き連れた水越がテーブルにトレイを置いた。

 奢ることが社にとって本意、不本意かは横に置いておくとして、奢ってもらうからには礼を言わなければならない。

 

「ごめんね」

 

 グラスを取った政彦の言葉には、感謝と憐憫が篭められていた。が、

 

「あぁ、良いわよ良いわよ。気にしなくて」

 

 それを悟れない女が一人。

 俺の隣に座った水越は、まるで自分が奢ったかのように、手をヒラヒラと振った。

 

「いや、水越が言うセリフじゃないから」

「ええんや、洵一。これぐらい奢れんようじゃ男が廃る」

 

 う〜ん、一見、許容量の大きさを垣間見せる、かっこ良さげなセリフに聞こえるんだけど……、涙を流しながら言われてもあまり説得力を感じないぞ。

 と、水越がコップに付いていたストローをタバコのように銜えながら、

 

「それでもさ〜、洵一。アンタ本当にいらないの?」

「うん? あぁ、俺はいいよ」

 

 なんの事かというと、実は社の奢りを俺は断っていた。

 

「なんでよ? せっかく社が奢ってくれるっていうのに」

 

 いや、水越が奢らせたんだろ。……とは言わぬが華である。

 水越としては、少しでも社の出費を増やしたいんだろう。ある意味、サタンより恐ろしい悪魔だな。

 どう説明したらいいんだろうか。と少し頭を悩ませる。

 

「俺さ。他人が調理した食事が食べれないんだ」

 

 とりあえず出たとこ勝負だ。

 

「潔癖症か?」

 政彦の隣から問いかける社に、否定の意味で(かぶり)を振った。

 

「潔癖症って、他人の触れたものが不潔に思えて触ることが出来ないってヤツだろ? 別に汚いとかそういうのはないんだ。どっちかといえば身体が受け付けないっていうか……まぁ、あんまり空腹にもならないから、食べる必要も無いんだけど……」

 

 ポカンと、まるで耳にしたことも無い異国の言語を聞いたかのような表情の三人。

 やっぱりなんとも説明しにくい。

 別に遠回しに言っているワケでも、比喩的言い回しをしているワケでもないんだけど、社達の微妙な表情を見るに、どうも理解してないッぽい。

 最後のひと言も余計だったかな?

 唐突に落ちた奇妙な沈黙の中、政彦が思い出したように呟いた。

 

「そういえば、洵一が食堂で食事を食べてるのを見たことないね。アレは誰が作ってるの? やっぱり家族の人?」

「おぉ、それならオレも気になっとってん。あんな黒い漆塗りの弁当箱を持ってくるヤツなんて、普通はおれへんからな」

 

 社の何気ない言葉に身体が固まる。

 

「…………マジか?」

 

 驚きに目を見開いたまま、隣の席に意見を求めると、水越はパフェを突っつく手を止め、今度は柄の細長いデザートスプーンを(くわ)えながら、考え込むように唸った。

 

「そうねぇ。珍しいといえば珍しいかな。女と違って、男って弁当箱の外観にあまりこだわりがないでしょ? 女の子でもカワイイ系はあっても、洵一みたいなヤツは持ってこないわね」

 

 そ、そうなのか。詩織はこれが弁当だっていうから、ついアレがスタンダードなんだと思ってた。だって、政彦と社はいつも食堂だし、水越はカフェテラスにしか現れないし。

 むぅ〜。今日は朝から新発見ばっかりだ。

 と、目の前から自然に、そっと染み込むように、

 

「でも、僕は良いお弁当だと思うよ?」

 

 優しい声が耳に届いた。

 顔を上げると、政彦は少し幼い、いつもの柔らかな表情で、

 

「だって、お弁当って朝早く作るから、大概は冷凍食品だったり、昨日の晩ご飯の残りだったりするでしょ? だけど、あのお弁当は彩から栄養バランスまで、洵一の為にきちんと手間ひまかけて作られている」

「…………」

 

 俺は言葉を紡ぐことが出来なかった。

 ここに通い始めて約一ヶ月。

 記憶にある限り、昨日の夕食のオカズが弁当箱に詰められている事は無かった。

 

「オレは栄養とか色とか分からんけど、この前分けてもらった弁当はムチャクチャ美味かったと思うで」

「――社」

 

 最近は、やっと身体が受けつけるようになった詩織の料理を三食食べるのに必死で、味なんて深く考えたことが無かった。

 それに何をもってして美味しいというのか、不味いというのか、客観的な基準もよくわからな――――ううん、そうじゃないだろ。俺。

 

「洵一は、なぁに難しい顔してんねん」

 

 今からでも……間に合うだろうか?

 みんなの言うとおりならば、詩織は俺の為に普通より手間の掛かることをしてくれている。

――――いや、それも違う。味なんて、ましてやちゃんと食べれるかどうかも分からない、無駄な労力になるかもしれないのに、弁当を作ってくれること自体、すごくありがたいことなんじゃないのか?

 もしそうなら、俺はどうすれば彼女の行為に応えられるのだろうか……。

 

「――――」

 

 考える。脳髄をフル活用し、脳細胞一つ一つを限界まで絞り上げて、思考の海へと意識を沈める。が、答えは見つからない。

 それでもさらに深くへ潜ろうとする意識。でも、きっと一生答えに至る事はない。

 どの答えに至るとしても、そこにはきちんとしたプロセスがある。いきなり答えが存在する事は無く、選択肢という名の過程を経て、初めて結果へと繋がる。

 この一連の流れは全てに共通する。

 そして人が生きていく場合、選択肢を得るには自分が体験し、経験を積み重ね、そこから見いだしていくほかないのだとするならば、今の橘 洵一という男では答えにたどり着けない。

 それも薄々は気付いていた。――――否、とっくに気付いていた。だが、たとえそうだとしても、俺は経験を得なければならない。

 外聞を捨て、疎まれ、恥を掻くことになったとしても、得た選択肢、ひいては答えを彼女に返したかった。

 

「なぁ、社。俺は、……どうしたら良いと思う?」

 

 きっと俺はワケの分からないことを言っている。

 なにせいきなりどうしたら良いかなんて、何に対しての対応を求めているのか、文章として無茶苦茶だ。

 これでは会話は成立しない。そう習った。習ったはずだった――――でも、

 

「ひと言言ったら良いねん」

 

 社も。

 

「今日のお弁当もとても美味しかったよ。って言えば喜んでくれるよ」

 

 政彦も。

 

「そうよ〜、洵一。ひと言言われるだけで、女の子は頑張れるんだから」

 

 水越も。

 

 三人ともまるで俺の心の中を見透かしたかのように、求めていた答えを的確に返してくれた。

 一瞬、魔術か何かだと思った。

 

「なんで男の水越にそんなことが分かんねん」

「女だからよッ!」

「……え? 女やったんか?」

 

 三人はきっと魔術で心の中を読んでいるのだと。そういった知識はあまり無いが、魔術の中にはそういうことが出来るモノもあると聞いたことがある。でなければオカシイのだ。

 この世は等価交換。

 何かを得るためには何かを犠牲に。

 

「……言うようになったじゃない。エセ関西人」

「フン! 俺をいつまでもお前の下にいる人間やと思うなよ」

「あ〜あ、また始まっちゃった」

 

 ひと言言ったら良いねん。

 今日のお弁当とても美味しかったよって。

 ひと言言われるだけで、女の子は頑張れるんだから。

 

 俺はこの答えを得るために何を失った?

 疎まれたワケでも、貶められたワケでもない。

 ただ自然に、流れるように、まるで答えるのが当たり前のように――――、

 

「ところでさ、洵一」

「――!! え? ど、どうかした?」

 

 政彦の何気ない声で、思考の渦から引き上げられた。そして目の前には、天使とはこういう事をいうのだろうと思わせる政彦の笑顔。

 でも何故だろう。

生まれたて赤子に勝るとも劣らないその純粋な微笑が、今は物凄く不安を掻き立てる。なにか悪いことが起こりそうな予感が……。

 

「洵一がお礼を言いたいその相手って、一体誰なのかな?」

「「…………」」

 

 睨み合っていた社と水越の動きが唐突に止まる。数ミリも動かなくなったかと思えば、今度はゼンマイの切れかけた人形のような鈍い動きで、首を回転させた。

 

 そういえば政彦のヤツ、さっきもそんなこと言ってたな。

 

「詩織が作っ――――」

「詩織って誰やねん!」

「詩織って誰よ!」

 

 わぉ、ナイスコンビネーション。

 

 大きく目を見開いて、迫ってくる二つの波。社にいたってはテーブルをガン! と叩いて身体を乗り出していた。

 突如の津波の来襲に、カフェテラスにいた生徒の視線が一斉にこちらへと向く。

 中には普通に話しているグループもあったが、それは恐らく我がV年C組の連中だろう。

 

「あ〜、え〜」

 

 そして肝心の俺はというと、これまた説明に難儀していた。

 どう言ったらいいものか。

 う〜ん。とりあえず、さっきの失敗を活かして今度は簡潔にしてみよう。

 

「家に住んでいる使用人だよ」

「使用人ってあれか。家事とかやってくれるオバちゃんやろ?」

 

 脳裏に浮かんだのは、詩織の鉄を思わせるいつもの無機質な無表情。まるで表情に同調するかのように、空っぽの瞳がジッとこちらを見つめていた。そう、ただジッと。

 

「…………」

 

 額からタラリと汗が流れる。空想のはずの詩織は、なぜか本物並みの圧迫感を持って確実に俺の精神を追い込んでいった。

 彼女を本当におばちゃんと呼んでいいものか。もちろん彼女とは同じ年齢だし、おばちゃんと称される要因は皆無だ。

 でも彼女なら、あの刃物のように鋭い眼力と、絶対不変の表情で、

 そう(おっしゃ)りたいのであれば、お望みのままに。

 とか言うんだろうな〜。

 しかも本人は本気でそう思っている辺り、少し質が悪い。

 まぁ、彼女がそれでも良いと言うのなら構わないだろう。……その方が社達も余計な誤解をしなくて済むしな。

 

「そ、そんなもんだと思う」

 

――――構わないよね?

 

「お手伝いさんを雇えるって事は、アンタって相当のお金持ちなの?」 

 

 寸分の間も空けず訊いてきたのは水越。今までのやり取りを見たら分かると思うが、コイツはこと金がらみになると、性格が悪化する。

 もしかして、俺はこのまま昼休みが終わるまで質問攻めにあうんだろうか。

 さっきの事といい、やっぱり政彦は侮れないな。普段は大人しい、どちらかと言えば暴走する社と水越を止めるブレーキ的な役割を担っているが、時折今のように何気ないところで、言葉を発しては問題を発生させる。

 類は友を呼ぶ。

 もしこの言葉通りだとするならば、一見社達と正反対に見える政彦が、“瀬那組”に所属しているのは、ある意味当たり前なのかもしれない。

 

「どうだろうなぁ」

 

 家の財産管理は全部詩織がしてるから、俺にはまったく見当がつかないけど、思い出してみる限りでは、みんなから聞いた金持ちっていうワードには当てはまらないと思う。

 

「実家の屋敷は大きいけど、ウチはそうでもないよ」

 

 まぁ、実家が世間一般の家に比べてかなり大きいんだと気付いたのは、今の家に流されてからなんだけど。

 と、ここで何故か奇妙な沈黙を置いて、水越は口を開いた。

 

「……それじゃあ、その使用人のおばさんと二人暮らなの?」

「う、うん」

「その家の家賃は?」

「いや、実家の持ち家だから、家賃は無いよ」

 

 水越は俯き再び口を閉ざす。

 

「――――」

 

 そして何かボソボソと呟くが、いかんせん声が小さい。

 

「ごめん。声が小さくてよく聞こえないんだ」

 

 ひと言も聞き漏らしがないように、水越の方へ耳を傾けて全神経を集中した……瞬間だった。

 

「それが金持ちだって言うのよ――――ッッッ!!!」

「――!!?」

 

 

 慌てて耳を塞ぐが時すでに遅し。

 脳天を貫くような声量が鼓膜を通って脳を揺らし、目の前の景色にいくつもの波紋を起した。

 

 ちょっと待て! み、耳が、キーンって、キーンしか聞こえない! っていうか鼓膜が痛い!

 

 視界の端で未だに水越は何か喚いているが、音を無くした俺には、ただの無音映画にしか見えなかった。

 とりあえず回復のために側頭部を軽く叩く。これで治るわけじゃないけど、気休め程度にはなるだろう。

 

「……ぁ、…あ」

 

 うん、なんとか聞こえるようになってきたぞ。

 

「あー。――よし」

 

完全回復を確認して、改めて水越に振り返る。

さすがに今のはダメだろう。

 

「あのなぁ、耳元でいきなり大声出したらビックリするだろ。鼓膜が破れたらどうするんだ」

「別に私は悪くないわよ。っていうか、今のはどちらかといえば洵一が悪いんだからね」

 

 反省の色どころか、逆に怒っているようですらある水越。

 でも、今のやり取りの一体どこに俺の悪いところがあるっていうんだ? こっちは訊かれたから答えただけなのに。

 視線で社と政彦に同意を求めるが、目があった途端、二人とも渋い表情で顔を逸らしてしまった。

 

「…………」

「…………」

 

 え〜と、なんで二人とも黙ってるのかな?

 それじゃまるで、本当に俺が悪いみたいじゃん。

 納得できない心境に、心の中で唸っていると、隣から溜息混じりに、

 

「はぁ。せっかくオーケトスラのチケット買ったのに……」

 

 なんて奇跡でも起こりえないようなボヤきが聞こえた。

 

「「「……え?」」」

 

 残った三人の声がハモり、辿り着いた思考も見事に一致した。

 

 あれ? もしかして毒電波くらった?

 

 違う意味で鼓膜の痛い言動を耳にし、唖然とする俺達に、水越は不満げに眉間にシワを寄せた。

 

「ちょっとアンタ達、なによその外国人にしか見えないヤツが、日本語しか喋れないと知ったときのような顔は」

「……だって、ねぇ?」

 

 無言で何度も頷く俺と社。政彦に激しく同意だ。

 水越がオーケストラなんて、残虐非道な無差別テロリストがボランティアで、貧しい国の子供に食事を援助するぐらいありえない。

 

「あのねぇ、アンタ等は一体私がどんな音楽聴いてると思ってんの?――はい、政彦から!」

 

 いきなり指名された政彦は、一瞬目を泳がせた後、遠慮気味に、

 

「JPOP?」

「次は社!」

「ROCKちゃうんか?」

 

 水越の額に青筋が浮かぶ。

 

「はい、次! じゅ――」

「演歌!」

 

 と、こちらは思ったとおり答えたんだけど、今度は口元が痙攣を始め、水越の目尻が見る見るうちに吊り上がっていった。

 

「まぁ、政彦のは妥当ね。――残りの二人! ロックと演歌ってなによ!? どういう根拠で選んでるのよ! 特に洵一! 即答は無いでしょ!?」

「だからぁ、水越がどんな音楽聴いてそうかだろ? だったら演歌」

 

 うん、間違いない。水越は多少の事は気にしない男前な性格だし、同姓の下級生にもモテるらしいから、演歌しか考えられないな。

 

 100%の自信を持って言い切った俺に、水越は何か言いたそうな渋い表情をしていたが、やがて大きく溜息を吐いて肩を落とした。

 

「もういいわよ。どうせ洵一の中でまたワケの分からない化学反応が起きたんでしょ」

 

 む、なんか失礼ないいようだな。

 それじゃ普段から俺がトッピなこと言ってるみたいじゃないか。

 

「それなら訊くけど、水越はなんで突然オーケストラのチケットなんて買ってきたんだよ」

「そ、それは一回聴いてみたいと思ったからに決まってるじゃない」

「なんや、聴いたことないんか?」

「――――うっ、そうよ。悪い? だってタダなのよ?」

 

 結局はそこか。

 

「水越。それは買ったって言わへんぞ?」

 

 確かに。それは貰った。もしくは社風に言うならパクッた。が正しい。

 

「あーもう! そんなことはどうでも良いの! 今度の休みはオーケスタラね。これで決定!」

 

 社のひと言が引き金になったのか、水越は猛然とまくし立てながら、制服のポケットからクチャクチャの紙を三枚取り出した。

 そして俺と社と政彦に一枚ずつ手渡していく。

 見れば、それは緑秋町の音楽ホールでおこなわれるオーケストラのチケットだった。

 

「あの〜、水越さん。俺今度の休みにちょっと用事があ……」

「却下」

 

 事も無げに言い捨てる水越と、ガックリと落ち込む社は実に対照的だった。

 でもせめて、せめて最後まで言わせてあげたかった。そう思うのは人の心ではあるまいか。

 

 なんか今日社は散々だな。

 

 元気出してよ。と再び政彦菩薩が励ますが、どうも今度はダメっぽかった。

 その光景を横目に見ながら、

 

「あ、そうそう。一ついいか? 水越」

 

 なに? と、水越がこちらを振り向く。

 息を吸い、溜めた空気を軽やかに吐き出した。

オーケストラ(・・・・・・)な」

 

 

 

 

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