私立である咲秋学園は、出資者が大富豪なのか、はたまた、お金を出す人物が多いのか、そのどちらかは定かでないが、学園の敷地は野球ドーム並みに広く、設備も他所では類を見ないほどに整っていた。

 全教室冷暖房完備。最新型のパソコンが設置されたコンピュータールームはもちろんの事、俺達がいつも昼食後に集まるカフェテリアも全体の一部に過ぎない。他にも音楽室が四つ。図書室が三つ。保健室にいたっては五つもあり、全室に保険医が常駐しているのだから驚きだ。

平和な学園で、一体何を想定して保健室を五つも作ったのか、発案者がいればぜひ意見を拝聴したいところである。

必要以上に揃った施設。擁護過多といわれても否定できない充実振り。さぞや学園は順風満帆に見えるだろう。

否、ここに問題が一つ。

これだけ至れり尽くせりで、授業料が公立並みというのは、さすがに誰でも設備を形作ったお金を疑いたくなる。

そもそも、施設を充実させようと思えば、必ずといっていいほど、お金の問題がついて回ってくる。

極論で言えば、私立は一つの商店なのだ。儲けがあるからこそ運営する。

設備にお金をかけるのならば、その分を他で取り戻さなければならない。一般の私立の場合、その大部分が授業料になるのだが、こと咲秋学園限っては、明らかに徴収金と設備費がつり合っていなかった。

それは足が出ているなんていう生ぬるいレベルではない。

もはやボランティアといっても過言ではなく、かといって他のところでお金を取るワケでもない。

これでは疑問を持つなというほうが無理な話だ。

 というか、実際に警察が訪れた事もあったらしい。

 俺はここに転入して一ヶ月ほどで、あまり詳しくは知らなかったのだが、身内に三度の飯より黒い噂好きな関西人がいるもんで、彼が必要以上に詳しく、明らかに関係ない瑣末な事まで懇切、丁寧に、私情をたっぷり挟んで教えてくれた。

 警察が調査するのを“ガサいれ”というらしいが、そのガサいれの結果、それはもう清々しいほど豪快な空振りだったらしい。

 一応、クリーンなお金のようだが、出資者の人数や名前は掴めなかった、と情報屋は悔しがってたな。

 まぁ、警察は把握しているからこそ手を引いたんだろうし、大みえ切って踏み込んでおいて、金銭的なモノで素直に下がるほど、日本の民警も腐ってはいないだろう。

 しかし、それでここの経営者か出資者かは味をしめたらしく、設備の次は独自の制度も次々と打ち出した。

 特待生制度から入学金サポート制度。

 その中の一つ、入学試験総合点数発表制度で、水越、社は大恥を掻いたらしいが、それは自業自得だ。

 厚意というのは、程々だからこそ感謝されるモノであり、必要以上の厚意は相手を警戒させるだけ。――のはずなのだが、入学する側からしてみれば、咲秋学園という場所はあまりにもおいし過ぎた。

背後に怪しい組織が控えていようが、学園を維持しているお金が他人の血から生まれたモノであろうが、入学希望者には関係ない。

 不景気や少子化の影響で次々と廃校に追い込まれていく昨今にありながら、毎年、入学希望者は後を絶たず、倍率も毎年上がり続けているという話だ。

 設備を充実させ、独自の制度も作り上げ、もはや手をつけるところはないだろう。

 誰もがそう思っていた。――――そんな愚考は、最後の独自制度制定から僅か一週間で裏切られることになる。学園の上層部は、すでに次へと目を付けていたのだ。

 今度、学園がお金を注いだのが部活。放課後から2、3時間程度行われているだけの部活動に力を入れ始めたのだ。もう、その貪欲さは“獲物を求める獣が如く”

 獣と違ってタチが悪いのは、この学園の胃袋が際限なく大きいという事。――――いや、どこかにお金の湧く泉があるのかもしれない。そんなものがあるならぜひウチの万年守銭奴、水こ……じゃなかった。とにかく教えてやって欲しい。

 ここまでやられたら、さすがに周囲の人間も疑うことを諦めたらしく、それよりも、この学園は一体どこまで突っ走るのか、そちらの方が気になり始めたらしい。

 こうして眼前に敵のいなくなった咲秋学園は、大手を振りながら体育館を二つ増やし、部室専用の校舎まで建造しましたとさ。めでたし、めでたし。なのか?

この部室を確保する為だけに造られた四階建て校舎、通称“部室棟”には、二十畳ほどの部屋がいくつもあり、部とつくものには、必ず一室与えられるのだが、もちろんどんな部でも部屋をもらえるというワケではない。

 そんなことをしていたら、部屋がいくつあっても足りなくなる。

 しかし驚くなかれ、なんと“瀬那組”には部室が割り当てられているのだ。

 だが、常識の範囲で考えれば分かるとおり、これは、お悩み相談ヘンテコ組織“瀬那組”が部として認められているのではなく、どうしても冷暖房完備・小型冷蔵庫付きの部屋が欲しかった社が、表向きを“第二天体観測部”として借り受けたのだ。

 もちろん、毎日のように空を見ている“第一天体観測部”とは違い、“第二天体観測部”は空を眺めるどころか、部室には望遠鏡の一つすらない。

 部室自体も、社が授業をサボって寝ているか、放課後にカフェテリアで購入したお菓子やらジュースやらを持ち寄って、他愛無いお喋りに興じる程度にしか使用されていないのだが、今日のようなあまり平和的ではない話しをする際、この“部室”という間接的な密室空間は非常に有効といえた。

 


 

 


 ホームルームが終わり、部室に集合したのは組長の社と、唯一の組員である政彦と俺。そして何故か、瀬那組に属していないと、自ら公言しているはずの水越までが参加していた。

しかし彼女がこうして依頼に首を突っ込むのは、これが初めてじゃなかったから、誰も特に咎めることなく、話は進められることになった。

 席も決まっているわけじゃないが、四人揃うと必然的に場所が決まるようで、こういうのを暗黙の了解というのだろうか。全員が正方形をかたどった長机を囲みながら、昨日のカフェテリアと同じ位置のパイプイスに腰掛けていた。

 

「…………」

 

 額に巻かれた純白の包帯が痛々しい社は、先ほどと同じく伏し目がちに無言。

 そのせいだろうか、言葉さえ溶けていない室内の空気が、やけに重かった。

 彼の様子は、途方も無いことを言い出す直前の、いつもの“溜め”ではなく、本当に言うのを躊躇っているように見えた。

 やはり今まで見たことのない反応。

普段の社の在り方とは真逆と言ってもいい。

念のため記憶倉に検索をかけてみるが、過去、教室での事例を除いて、社がこのテの反応をみせた件数は……該当件数0件。初めて見る社の挙動と確認。

 当惑したのは残った二人も同じらしく、水越は大きな瞳を何度かパチクリさせると、政彦と顔見合わせ、怪訝に目を細めて首を傾げた。

 

「こら、関西人。依頼があるんでしょ? 早く言いなさいよ」

 

 いつまでも無言の社に苛立ちが募ったのか、それとも雰囲気の暗さに耐えかねたのか、苛立たしげな水越に急かされて、社はようやく顔を上げた。そしてまだ迷っているようなニュアンスで目を泳がせながら、

 

「え〜と、依頼者は後輩の一年生、西原 隆之。……依頼内容は、部屋に引きこもって出てけぇへん兄貴を何とかしてくれって事らしい……」

「…………」

「…………」

「…………」

 

 沈黙。出だしと同じく、再び無音という音が室内を圧し潰した。

 

「……あれ? それで?」

 

 沈黙を押し返し、続きを要求するが、

 

「これで終わりや」

 

 仏頂面で文字通りひと言だけ告げた社。すると、社の隣に座っていた人類最後の良心、守城 政彦が幼さの残る顔立ちを、戸惑いと苦笑の混ざった複雑な色に塗り替えて、しみじみと呟いた。

 

「――――、……またおかしな依頼だねぇ」

 

 はい、その意見にはいたく同感です。

 物探しからストーカー退治まで色々やったけど、またえらく変り種を持ってきたもんだ。

 

「ソイツを何とかすれば良いのか?」

 

 今、聞く限りじゃ特に危険性も孕んではいないし、何故これほど社が警戒するのか理解に苦しむが、一応、最終確認のために訊いておかなければならなかった。

 いつもならばここで、当たり前や! か、さっさと報酬せしめるで! という返事が返ってくるのだが、当の本人は荒行を乗り越えた修行僧のような、眉間に深いシワを刻んだまま、難しい表情で何かを考え込んでいた。――――それどころか、頭をボリボリと掻きながら、

 

「やっぱりこの依頼は断ることにするわ」

 

 と、理解不能な電波を発信した。

 一体誰がこの電波を予測できただろう。

 紳士の皮を被った下劣漢。生まれも育ちもジモティのエセ関西人。緑秋町で1、2を争う守銭奴。等々、社の異名を挙げればキリが無いが、アイツの性格から考えて、今の発言は教会がキリストを否定するぐらいありえない。

いくら他の生徒達より付き合いが長いとはいえ、瀬那 社という人物を根本からひっくり返す毒電波を受信できる高性能受信機はこの場に存在しなかったようで、

 

「あれ? なんだろう。私、最近規則正しく生活しているつもりなんだけど、まだ寝不足なのかな?」

「僕も耳鳴りが聞こえた気がした」

 

 目を覆い、天を仰ぐ水越と、呆然と瞳を見開く政彦。

 二人ともすぐにコメントできるだけすごいが、幻聴と耳鳴りは、ちょっと酷い言い草だと思う。

 せめて、手足の生えたツチノコが阿波踊りをしながら目の前を通り過ぎていく、ぐらいに留めておいても良いんじゃないだろうか。

 

「社君、社君、どうしたのかな? 降りる星を間違えちゃったのかな?」

「…………」

 

 水越は唖然としながらも、瀬那 社らしき人物と意思の疎通を図ろうとしているらしい。

 普段ならば一瞬の間も空けずに罵声を浴びせ返す社だが、今回にいたっては何も言い返すことなく、その表情も変わることはなかった。

 

 明らかにおかしい。

 

多少の危険な事もこなしてきた社が、これほど躊躇うなんてちょっとした異常どころじゃない。

 怪しい雲行きに懸念が頭をもたげた俺は、暗く沈んだ社の目を見据え、あらゆる装飾を削ぎ落とした言葉で訊いた。

 

「この依頼に何かあるのか?」

「――まぁ、あるっちゃあ……あるんやけどな」

 

 いつもの饒舌はどこへ逝ったのか、口ごもる社に話しを促した。

 

「だから、それを言ってくれないと、今回の件が異常かどうか、受けて良いのかも判断できないじゃないか」

 

――――と、俺は嘘をついた。

 さっきも言ったとおり、瀬那組は危ない依頼も何度か受けた事がある。中には普通の高校生では手に余るようなモノもあった。

なのに、それをこなしてきた社が言い淀んでいる。その時点で、今回の依頼が一般人の対応できる範囲を逸脱しているのは明々白々。

 だが、こうでも言わなければ社は話さなかっただろう。そして、

 

「……あ〜、そう…やな」

 

 どうやらこちらの目論見は成功したようで、社は空中に視線を彷徨わせながら、ポツポツと語り始めた。

 

「う〜ん、その兄貴の事やけどな。どうやら誰かに狙われてるみたいねん」

「狙われてる?」

「別に直接被害があったとかじゃないねんけど。……でも、確かに怯えてて、部屋から出てこんどころか、睡眠も食事もとってへん始末らしい」

「…………」

 

 そうか、それなら社が断ろうとしているのにも頷ける。

 俺と社の問答を真剣な面持ちで聞いていた政彦が、表情の困惑を舌に乗せた。

 

「警察には?」

 

 表情と質問から察するに、政彦も依頼の危険性に気付いたようだ。

 

「その兄貴は医大生らしくてな。こんなんで警察の厄介になったら経歴に傷がつくいうて、通報してないらしい」

 

 慣れたのか、開き直ったのか、社の口調は最初に比べると幾分かスムーズだった。

 俺、社、政彦は、こういう話を何度も耳にしているから、依頼がどれほどの危険性をもっているか、ある程度なら判断する事ができる。しかし、

 

「ねぇねぇ、今のってそんなに危ないことなの? 話しの限りじゃ、単にヒッキーが被害妄想並べて、一人で怖がっているように聞こえるんだけど?」

 

 こういった胡散臭い事にあまり接する機会のない水越には、そう聞こえるんだろう。――――仕方ない。説明するか。

 

「いいか、水――」

「それは全然違いますよ」

「――――!!?」

 

 説明しようとした矢先、四人の誰とも違う声に遮られた。誰もが目を見開き、弾かれたように入口へと視線を向ける。驚愕と困惑が支配していたのは、瞬く間だった。

 

「なんや〜、驚かさんといてぇや」

「もぉ、本当に心臓止まるかと思ったわよ」

「ははは、僕も……」

 

 ドアの前に立つ見慣れた顔に、全員が緊張、驚きで固まった身体を解き、安堵に肩を下ろした。室内の剣呑な空気も若干和らいだような気がする。だけど俺には、

 

「…………」

 

 “部室”という密室に侵入してきた人物と目があっても、緊張を緩和させる事は出来なかった。それどころか、逆に眉間へとシワが寄り、傍から見ても分かるほど警戒心をあらわにしていた。

 普段ならば心の表情を表に出すなんて無様はおかすまい。しかし、コイツを目の前にした時、さっきまで教室で思案していた、配慮や様子見なんていうヌルい選択は全て破棄されていた。

 コイツは半端な駆け引きで何とかなる相手ではない。人としての理性ではなく、地球上に生きるイチ生物としての本能がそれを理解していた。

 女の登場に呼応するように蘇った、頭を締め付けるような頭痛がその証拠となり、暗闇に没しているはずの左眼の疼きが、それを確証へと変える。

 

「…………」

 

 猜疑という名の敵意で、周囲の空気を冷たく硬化させながら、周りの者が気付かぬほど薄く、それでいて頭の痛みを忘却するほどの殺意を籠めて、目の前の“非日常”を睨みつけた。

 

「…………」

 

 異物はそれを受け流すでも、かといって完全に受け止めるでもなく、蒼い瞳を細め、ただ本当に困ったように、苦笑を浮かべていた。

 

 

 

 

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